140字の連載小説『観音様のヒモ』⑥
6.
顔面蒼白の猪俣。その場に跪き、沙織に頭を下げた。
【すみません。殺すつもりはなかったんです。】
涙ながらに赦しを乞う。沙織が近付いてしゃがみ込んだ。
「自首、してくれるよね?」
何度も頷く猪俣……。
『危ない!』
懐から取り出したナイフは沙織の腹部を襲う。
不意を付かれた沙織は対応が遅れた。 夏樹は一歩も動けない。重なりあう二人。 やがて離れた猪俣の手にナイフはない。その横で沙織の膝が崩れ落ちる。
『沙織さん!』
夏樹の断末魔に似た叫び声を聞いて男衆達が駆け込んできた。 沙織に駆け寄ると血溜まりが目に入った。
『沙織さん!誰か救急車!早く!』
血は腹部からか?沙織の白装束が真っ赤に染まる。
『しっかりして下さい!』
夏樹の瞳からは大粒の涙が……。
『沙織さん!沙織さん!……。』
……ん?何かおかしいぞ。 この違和感は何だ?
《はい、カット!お疲れ様でした!》
リーダー格の男が笑顔で告げた。部屋全体の空気も軽くなる。 呆然とする夏樹の他、猪俣だけが呆気に取られている。
「こんな長いヤッパで危ないじゃない。」
沙織が唇を尖らす。
「ちゃんと撮れた?猪俣の悪事 笑」
“ バッチリよ ”
見覚えのある女が部屋に入ってきた。
その女は合コンで沙織の隣にいた嬢だった。
“ 沙織。長い事、ごめんね。”
「理緒が協力してくれたお陰よ。」
部屋の中は喧騒に混じり笑い声も聞こえる。 夏樹はまだ状況を飲み込めない。
【我々もこの辺でいいか?】
……え? 原田に続き、斬られた筈の隆三まで現れた。
遠くでサイレンが聞こえる。 一連の流れを撮影され猪俣は観念したようだ。 あれだけ殺気立っていた男衆達も談笑し始めている。
『原田さん?これは……?』
《夏樹君!本当に申し訳ない。》
警察が踏み込んで来て猪俣を連行する。
「夏樹。全部話すわ。こっちに来て!」
数ある早川邸の部屋の中から、沙織は庭の見える広めの和室へ夏樹を案内した。 理緒と呼ばれた嬢はその姿を消していた。
「そもそもはね。先程の女性、理緒のストーカー被害から始まった事なの。」
沙織は庭を見詰め話し始める。 夏樹はその後ろ姿へ真剣な眼差しを向けた。
「最初は誰かが付いてきているような気がした。」
沙織は理緒と呼ばれた女性について語り出した。
「気のせいだと思うようにした。でもそれは徐々にエスカレートしていった。」
夏樹は黙って次の言葉を待った
「差出人不明の手紙などが続き、そしてあの事件が起こった。」
「ある日彼女が帰宅すると部屋の中に何者かの気配を感じた。」
電気を点けようとした時、入り口から出て行ったらしい。 直ぐに警察に連絡し被害届を出したが進展はなかった。
「ただ、彼女は男の風貌に心当たりがあるような気がした。」
顔は見えなかったが何処かで……。
その直感を最後まで信じていれば……
「理緒はサークルの仲間に相談した。それが合コンに来ていたメンバー。」
沙織はそこで振り返った。
「貴方、彼らに見覚えないの?」
『え?』
夏樹は虚を突かれた。突然の事で頭が回らない。
「東西大学……貴方もでしょ?」
全く覚えていない。
「でしょうね。だから猪俣に利用されたんだし。」
夏樹は依然、事の顛末に気付かない。 沙織は溜め息と共に続けた。
「理緒は事件の背景をサークルの人間に打ち明けた。」
当時の中心メンバーだった彼らは、一年生か二年生。 協力を約束してくれた。
思えば一番張り切っていたのは猪俣だった。 何としても犯人を見付ける。そう皆で誓い合った。 しかしそれは難航した。そこで彼らは卒業を控えていた沙織と智に協力を求めた。 頼みを断れない質の智は引き受けてしまう。 皮肉にもその彼が犯人に辿り着く事になるのだが……。
智が加わり少しずつ事実関係が明らかになってきた。 一連のストーカー行為を出来る人間が限定されてきたからだ。 皆が猪俣に疑念を抱くようになった頃、あの事件が起こった。 智が変死体で発見されたのだ。
「猪俣はこれに乗じて、夏樹……貴方に罪を着せようと考えたの」
追い詰められた猪俣は恐らく弾みで智を殺してしまった。 そしてこの殺人とストーカーも含め学部の先輩である夏樹の犯行に見せ掛けようとした。
「貴方、当時から女癖が悪かったみたいね。」
そこを猪俣に付け込まれたらしい。
「調べたら直ぐ分かった。貴方ではないと。」
猪俣に疑念を持っていた彼らはその話に乗った。
「そこで夏樹、貴方を罠に嵌めようと言う話になった。勿論、猪俣をターゲットにする為だけど。」
『でも早川連合や松嶋組の力を借りた方が簡単だったのでは?』
夏樹は漸く話が見えて来たようだ。
「それもね。実は……。」
(ツイッター 76~90)
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