140字の連載小説『観音様のヒモ』⑤
5.
やはり見間違いではなかった。彼と目が合った。 『猪俣!』 しかし彼は背中を向けて逃走した。後を追った。何故逃げるんだ。 庭の中に小屋のような建物が見え、その中に猪俣は消えた。
夏樹も続けて中に入った。 何も無い。ただ大きな階段が地下の暗闇へと続いていた。階段を降りて行くと、ぼんやり明かりが灯っている。 その奥は通路になっていて、真っ直ぐに続いている。
かなり前方に人影が見えた。猪俣か? 『待ってくれ!』 彼は振り向く様子はない。 バタン!後方から扉の閉まる音が。数人が階段を降りて来る。 追手が迫っている。
捕まったら終わりだ。 夏樹は必死で逃げる。しかし直線が続き、このままでは持久戦だ。 陸上部出身なので足に自信はあるが追手も付いてくる。 前方の猪俣が姿を消した。何処へ?
その理由は、やがて分かった。行き止まりになっている。 道はそこから右側へと続いていた。
道は更に真っ直ぐ続いていた。 が、途中の左側に空間を見付けた。その先は階段になっている。 上方に猪俣らしき姿も見える。 迷わず夏樹は階段を登った。
後方からは追手の足音が響く。 地上に出るとそこは……屋敷の中であった。そんな! もう逃げる気持ちは失せていた。
絞首台へ向かう気持ちとはこんなものなのか? 両脇をそれぞれ男達に抱えられ、夏樹は別室へ運ばれている。
《悪く思わんでくれ。こっちにも色々都合があってな。》
最初の監禁場所に連れて来られた。 そしてリーダー格の男が無表情で言った。
《刀で首を。一瞬で済む。》
『ちょっと待って下さい!』
夏樹は必死に訴えた。
『いくら何でもやり過ぎですよ!』
こんな所で死ぬ訳にはいかない。
《でもな。お前をどうしても許せないという人がいるんだよ。》
え?どういう事だ。
《悪い事は出来ないな。》
どの口が言うと思ったが、一体誰が?二人の男達に両腕を掴まれ身動きが取れない。
《じゃあ始めるか。……どうぞ!》
リーダー格が冷徹に言い放ち、部屋のドアが開かれた。 そこから現れたのは……! 夏樹は幽霊でも見たかの様な顔をしている。 信じられない……。何故? 白装束で身を纏った沙織だった。
『沙織さん?何で……?』
俺は彼女の身代わり。それなのに守るべき相手に殺される? 混乱して考えが纏まらない。 そんな夏樹を無視し沙織が近付いてくる。
そして隆三を斬った刀を握り、歩きながらそれに右手を添えた。 嘘だろ? 張り詰めた空気を沙織の太刀が切り裂く。
渾身の一撃は夏樹の首筋を的確に捉えた、と誰もが思った。 しかし夏樹に変化はなかった。沙織の放った刀は降り下ろされている。 どういう事だ?沙織が外したのか?
「やっぱりあんた、只者じゃないよね?」
沙織は夏樹を見据えて言った。
「もう全部分かってるから。」
え?いや、動けなかっただけですけど。
「貴方だったのね。智を殺したのは。」
『え?沙織さん?』
「今の身のこなしで分かったわ。」
『いやいや、何の話か……。』
何がどうなっている?
【沙織さん、もう皆でやっちゃいましょう!】
次に入って来たのは猪俣だった。
『猪俣!』
夏樹は叫んだ。しかし彼が何故ここに?
【先輩、もう全部バレてますから。もう終わりです。】
猪俣はそう言って、ほくそ笑んだ。
『ちょっと待ってくれ!本当に分からないんだ!』
沙織は、じっとこちらを見詰めている。
「あの夜の事、話してくれる?」
沙織はそう言って、猪俣に向き直った。
【え?先輩でしょ?】
表情を強張らせて猪俣が問う。
「いえ。貴方に聞いているのよ。猪俣くん。」
【何度も言ったじゃないですか!あの夜、橋の上で智さんを夏樹先輩がナイフで刺したって。】
沙織は何かを確信した様に微笑んだ。
「やっぱりね。」
沙織は溜め息と共に呟いた。
【何がですか?】
猪俣に動揺が見える。落ち着きがない。
「それは無理なの。猪俣くん。」
沙織は続ける。
「あの日、桑嶋達と智が揉めた話は知ってるね?」
猪俣は頷く。
「一度現場を離れた桑嶋は再び戻っているの。」
猪俣は鋭い眼光で沙織を見詰める。
「そこで橋の上にいる智ともう一人を目撃している。」
【……。】
「関西遠征の時に桑嶋が耳打ちしてくれたよ。その男は夏樹ではないと。」
猪俣は唇を噛んだまま動かない。
「それでは誰なのか?……貴方は全て分かってるでしょう?」
【沙織さん!信じて下さい!僕じゃありません!】
猪俣は必死で食い下がる。が、沙織が終止符を打った。
「智はね。転落死として報道されているの。」
「ナイフで刺した事は……犯人しか知らないのよ。」
【沙織さん……!】
「それとも!……ここに桑嶋を呼ぼうか?」
(ツイッター 61~75)
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